[1985年7月26日] 地附山の地辷災害 [長野市]
1985年(昭和60年)7月26日、長野県の地附山(ぢづきやま)で、大規模な地辷(じすべり)が発生。
↑発生前(1983年)
↑発生後(1985年)
# 地辷と山崩れ/崖崩れは、似ているが異なる。
地辷の兆候は、発生の6年前から既にあったのだ…
1985年7月26日
16時30分
・柳原正之長野市長が、湯谷(ゆや)団地の内、38世帯に避難指示を出す。
避難指示は、その後、湯谷団地全体、望岳台、上松2丁目、滝地区に拡大、避難指示の合計は605世帯。
17時20分
・湯谷団地のテレビ塔の下から、斜面が崩れ始める。
17時35分
・特別養護老人ホーム「松寿荘(しょうじゅそう)」に、土砂が流れ込む。
18時30分
・松寿荘が全壊。
・湯谷団地とその周辺に住む千人以上が、湯谷小学校や城山(じょうやま)小学校に避難。
7月27日
午前1時
・26人の死亡・行方不明者の氏名が判明。
8月1日
・仮設住宅への入居が始まる。
・最後の行方不明者を遺体で発見、捜索活動終了。
8月12日に日本航空123便墜落事故が発生し、8月中旬以降、報道は縮小していった。
被害状況
(1986年11月末現在)
・死者:26人
・重軽傷:4人
・全壊:50棟
・半壊:5棟
・一部破壊:9棟
・農林業被害:602,174千円
・水道施設被害:229,200千円
・福祉被害(松寿荘):1,457,330千円
・商工関係被害:68,167千円
・有料道路(戸隠バードライン):約2km崩落
関連:地附山(ぢづきやま)
関連:戸隠バードライン (この地辷により一部廃道化)
関連:防災メモリアル地附山公園 (地辷の跡地を利用し整備された公園)
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